2006年04月02日

夏目家の糠みそ

夏目家の糠みそ
半藤末利子/著
PHP研究所
2003/06
文庫判
ISBN: 4569579604


 夏目漱石の孫、半藤末利子による随筆集。
 タイトル通り、祖父の夏目漱石がらみのことがらを孫の視点から語ったエッセイであるが、この人は、ごく普通の主婦であって、漱石以外に取り上げられるテーマはごく普通。食べ物のこと、近所づきあいや夫との生活、若い頃の回想などが綴ってある。その感覚もごく普通なのだが、血のなせる生まれ持ったものなのか、夫(半藤一利)が小説家というのが関係しているのか、何となくセンスを感じる。何気ない中に、どこか読ませるものがある。

 私はこうした、女性による日常を綴ったエッセイというのは読むと退屈してしまうほうなんだけど、彼女のエッセイは楽しく読めた。
 特にすごい文章のうまさとか、斬新な切り口とかはないんだけど。 その魅力のひとつが歯に衣を着せないというのか、正直なものいいだ。といっても、決して悪口をいっているのではない。ただ、その場をお世辞とか、曖昧なきれいな言葉とか、あるいは見なかったふりで繕う、ということはしない、ということだ。簡単なことみたいだけど、今日びこういう人はうんと少なくなった。
 漱石は妻の鏡子を、取り繕わない正直なたちが気に入ってもらったのだと漱石が彼女自身に言ったというくだりが、鏡子の回想集「漱石の思い出」にある(鏡子が歯並びのきたないのを隠しもしなかったからそう思ったのだとか。)。実際、鏡子にまつわる思い出ばなしを読むと、彼女は直裁なものいいをする飾り気のない人だったという記述が多い。その鏡子の孫たる彼女のエッセイを読んでいると、さもありなんと思わせる。多分鏡子の性格が、おそらく娘の筆子にも受け継がれ、そしてその娘の末利子にも伝わったんじゃないだろうか。
 繊細さはないけれど、そのかわり強くて、さっぱりして、率直で、あたたかみのある、そういう好もしさを感じる性格が伝わってくるようだ。

 夫の半藤一利は漱石マニアでもあり、そのせいなのかもとからなのかは知らないが、彼女もなかなかの漱石ツウである。2人は漱石がらみのイベントに招かれたり、休みには漱石ゆかりの旧跡をめぐったりして過ごす。親戚だからということもあるけれど、2人の趣味が漱石で一致しているという感覚があるようだ。。こういう共通点がある夫婦というのはうらやましく思う。

 父・松岡譲と母・夏目筆子との苦しい恋と結婚の物語が興味ぶかい。もともと漱石死後に、門下の久米正雄が筆子への求婚を考え、同じく門下の友人、松岡譲に相談に乗ってもらっていたところが、実は筆子はひそかに松岡に恋していたという物語のような三角関係があり、松岡は苦しんだ末筆子の思いを受け止めた。久米正雄はこの顛末を本に書き、自分だけがだまされたように書いたので、この一件がスキャンダルとなり、いたたまれなくなった松岡と筆子は長岡に都落ちしていたんだそうである。松岡譲はこのいきさつを「憂鬱な愛人」という本に書いたそうだ。とても読みたいが、もうずっと絶版なのだそうだ。

 また、夫婦で1960年に日米交流で米国に招かれ、どうせなら名所でなく軍事基地を見学してみたいという半藤一利の発案で、ウェストポイントの基地を訪れたというくだりがある。2人は案内されてあちこち見て回ったが、ふと食堂に彼女が足を踏み入れたところ、大騒ぎになってしまったそうだ。
 当時の軍の食堂はなんと「女人禁制」であったのだ。彼女の記述によると、食事をとっていた男たちが騒然として立ち上がり、パニック状態になってしまったらしい。1960年のアメリカというのは、今とは違う風紀を持つ国だったということがわかって面白い。
 
 こういうような話が、タイトルの糠みそとか、普段の生活とか、青春の思い出とかの日常エッセイにからんで入っている。普通感覚の主婦だけれど、普通の人では味わえない変わったドラマティックな体験をいろいろしていることも、この何気ないエッセイをどこか違ったものにしている理由かもしれない。
【関連する記事】
posted by adayabook at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | ノンフィクション・歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/16922915

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。