2006年03月31日

火星の人類学者

火星の人類学者 脳神経科医と7人の奇妙な患者
オリヴァー・サックス/著
吉田利子/訳
早川書房
2001/04
文庫判
ISBN: 415050251X


 脳神経科医として有名なサックス博士が、彼が診てきた7人の印象的な患者たちの症状を書き記したエッセイ。
 彼ら7人は、かなり重度の脳神経障害の持ち主である。いわゆる「普通の人」とは違う奇妙なふるまいをし、社会的生活に困難を抱えている人物もいる。
 サックス博士は彼らの奇抜な修正や行動、傷ついた脳が及ぼす不思議な現象を淡々と書き綴る。
 だが本書は、そうした脳障害の人々のありさまを綴った凡百の書物とは一線を画している。
 それは、サックス博士が「人間は、どんな環境にも適応し、自分らしい生き方を見出すことができる」というテーマを、すべてのエッセイの中で貫いているからである。

 このテーマはまた、博士自身が患者と向き合っていく中で見つけ出した真理でもある。
 博士は研究室にじっと座って患者を待つのではなく、患者たちと行動を共にし、その日常を共有することで、彼らを診察していくのだ。

  1人目の患者は「色覚異常の画家」。キャリアの長い画家が事故のために、すべての色を認識できなくなる。色彩感覚の豊かさを人生の糧にしていた画家は、自殺を考えるほどに落ち込む。だが、画家はやがてあれほど執着した色彩という認識を忘れていき、新しい視覚に美しさを見出していく。訓練で一部の色彩が取り戻せるかもしれない、と医者が提案したが、画家は、もう今のままでいいからと断るのだった。

  2人目は「最後のヒッピー」。60年代末にハーレ・クリシュナ教に入信、そこで脳腫瘍をわずらったために、重大な障害を得ることになった青年である。彼には70年代初頭までの記憶しかなく、ヒッピー時代のことばかり話すのだ。前頭葉が損なわれ、何も記憶できず、こだわりがない。いつもニコニコとして大らかになった彼を見て父親は言う「前頭葉などないほうがいいかもしれない」。しかし、彼にはやはり感情の片鱗があり、サックス博士はそれを引き出そうとする。博士は青年が大好きだというグレイトフル・デッドのコンサートに連れて行く。青年はデッドのコンサートを目いっぱい楽しむのだが、翌日にはもうコンサートのことは忘れていた。喜びも悲しみも、すべてをすぐに失う青年。人間はいったい、「前頭葉などないほうがいい」のだろうか。
 
 3人目は、「トゥレット症候群の外科医」。トゥレット症候群とは、はげしいチックや衝動的な動き、言葉の発露を抑えきれない症状を持つ人物である。脳の抑制の部分に障害があるとも言われる。
 だが突然衝動的にぎくしゃく動いたりするこの症状の持ち主には、重要な社会的職業についている人物も多いという。この患者もその一人であり、腕のいい外科医で、自家用ジェットも操縦する。
 もちろん患者や同僚も彼のとっぴなしぐさを見ているが、もう慣れっこだ。彼は手術中になると発作的な動きをすることなく、スムーズに手を動かすことができる。車やジェット機操縦中もそうだ。
 そして何より、彼は自分の持つ障害のせいで、患者の気持ちがわかる医者となっているのだ。彼は健康体の医者よりも親身に、熱心に診察してくれる。患者たちはそう感じるという。そして、この外科医も、自分の症状を前向きに捕らえている。

 4人目は「『見えて』いても『見えない』」。盲目の男が、手術で視力をとりもどすが、新しい視覚の世界に慣れることができず、見えていても盲目のようにふるまうという話。やがて彼は病気でまた視力を失うが、それをむしろ歓迎したようだった。人々は「見えない人」を障害と考え、「見える人」が正常と考える。だが、盲目の人が視覚を得るということは、まったく別の世界観を取得しなければならないということだ。彼らにとって視覚は、恐ろしい体験にもなりうるのである
 このエピソードは「得るものがあれば失うものがある」という古くからの格言を、そのまま人生にあてはめたかのようだ。読後には悲喜こもごもの感情を感じさせるのである。

 5人目は「夢の風景」。故郷の町を黙々とカンバスに描きつづける画家が主人公。この画家は故郷への執着心がすごく強いとか、集中力があるとか、そういうレベルではない。彼の追憶は強烈すぎ、日常生活が困難なほどなのだ。どんな些細なことでも、フラッシュバックのようにつねにリアリティを持ってよみがえっているのだという。
 だが、彼の症状は、はすばらしい芸術を生み出している。故郷の絵は高い評価を得て、あちこちに飾られている。
 そして、画家も故郷の追憶にとらわれてはいるが、やはり現実に住んでいることを認識していく。彼は苦しみながらも、追憶と変わってしまったかつての故郷に再び住み、絵を描きつづける。

 6人目は「神童たち」。有名な天才少年画家、スティーヴン・ウォルトシャーについて語った一遍である。スティーブンは生活には支障がない程度ではあるが、自閉症児である。自閉症の人は、しばしば克明な記憶や再現能力を持つ。スティーブンもひと目見ただけで詳細な絵が描ける。
 だが、彼の絵には、単なるコピー能力とは思えない何かの力がある。あまたの芸術作品と同じ、人に訴えかける力が。情緒面や想像力が欠けるとされる自閉症児が、そうした芸術的感覚を持つというのはありえるのだろうか。博士はスティーブンのスケッチ旅行に何度か同行するが、最後までその真相はわからない。だが、ひとつわかったのは、スティーブンの絵は、まさに自閉症という症状を持つ彼にしか描けないものであろうということだ。彼は他人の持ち得ないビジョンを追求しているのである。

 7人目は「火星の人類学者」。本書のカバータイトルとなった、もっとも重要なエッセイだ。博士は自閉症の動物学者の女性に会いに行く。彼女は自閉症児として育った自分の過去を綴った本で有名になった女性で、言葉で自閉症の世界を詳細に語れる、数少ない存在である。
 女性は仕事を持ち、自閉症についての講演をし、ごく一般的な社会生活を営んでいる。
 だがやはり、情緒面は欠けているのだという。理論はわかっても、彼女には人々の感情の動きが理解できない。彼女はまるで“火星からやってきた宇宙人”のように、人々を観察し、社会で“普通に”生きる術を学び取るしかないのだ。
 しかし彼女は、まさに自閉症であったがために几帳面に、理論的な性格になり、今の地位を築くことができたのだ。彼女はじぶんの症状を肯定的にとらえている。「自閉症は私の一部なのです」と。
 
 これらのエピソードは、すぐれた脳医学的なレポートであると共に、人生の深みを感じさせる文学的な作品でもある。
また、脳という未知の領域を前に感じる汲めどもつきぬ驚き、みずみずしい感性は、私たちに生命の不思議を分け与えてくれるのだ。

 
 *それにしても「火星人の人類学者」って…。マーシャン・マンハンターのことか?それともマンハンターには、プロトタイプとなった「理論的で、感情的なことが理解できない」火星人がいるのかな?

 *「病気とは何か」は大きなテーマである。古来、同性愛は病気とみなされ、治癒的行為が行われてきた(あまり効果はなかったようだが)。特殊な症状も含めて、個人は形作られる。そう考えると、なにもかもを「正常」に治癒するというのは間違っているのだ。ってこれは映画『X-MEN3』のテーマでもあるらしい。
 
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